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最高裁判所第二小法廷 昭和32年(ク)101号 決定

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

所論は、地方裁判所がなした人身保護規則三五条三項による決定に対し抗告をなし得ないとする判断は、憲法三二条違反であるというが、審級制度を如何にすべきかに付ては憲法八一条のほか、なんら規定がないから、この点以外の審級制度は立法を以て適宜に之れを定め得ることは当裁判所大法廷の判例とするところである(昭和二二年(れ)第四三号同二三年三月一〇日大法廷判決、同二四年(ク)第一五号同年七月二二日大法廷決定参照)。さればこの趣旨に照らし、所論は理由がない。その他所論は違憲を云々するが、原決定自体を攻撃する主張としては、その実質は結局、人身保護規則三五条三項による裁判に対し抗告し得るかどうかの問題につき、原審のなした人身保護法および人身保護規則の解釈適用を争うに帰著し、特別抗告適法の理由と認め難い。(尤も、第一審富山地方裁判所が、本件人身保護請求の取下を有効と認め、人身保護規則三五条三項による裁判をしたのは、同規則の解釈適用に誤りがあるというべきである。すなわち、記録によれば、本件人身保護請求事件については、さきに、昭和三一年七月一二日富山地方裁判所砺波支部において、被拘束者を釈放する旨の判決を言渡し、これに対し上告の結果、同年一一月二七日当裁判所第三小法廷において、原判決を破棄し、本件を富山地方裁判所に差戻す旨の判決を言渡し、次いで請求者から昭和三二年三月一日富山地方裁判所に対し、本件請求につき取下書を提出したものである。しかし、人身保護規則三五条によれば、請求の取下をなし得るのは、判決のあるまでに限定されているのであり、ここにいう判決のあるまでとは、判決の確定するに至るまでという意味ではなく、判決の言渡のあるまでの趣旨と解すべきである。それ故、本件においては、前記の如くすでに一旦判決があつた以上、仮令これに対し上告をなしその結果その判決が破棄差戻され未だ確定していないときといえども、もはや請求の取下をなし得ないのであり、従つて人身保護規則三五条三項による裁判は法律上許されないことが明白であり、ひつきよう右請求の取下は無効というべく、また取下の有効なことを前提としてなした同規則三五条三項による前記富山地方裁判所の裁判は、法律上、その内容に添う効力を生じ得ないものと解するを相当とする。)

以上の次第であるから、本件抗告自体は理由なきものとして棄却し、抗告費用は抗告人の負担とすべきものとし、裁判官藤田八郎の意見を除くその余の裁判官一致の意見で主文のとおり決定する。

裁判官藤田八郎の少数意見

本件において、抗告の対象となついてる第一審富山地方裁判所の決定は、一旦被拘束者を釈放する旨の判決が言渡された後に、請求者から人身保護の請求を取下げる旨の書面が提出されたため、さきに同裁判所砺波支部のした人身保護命令を取消し、被拘束者を再び拘束者に引渡す旨の裁判である。そして、この裁判が人身保護法の規定に違反し、無効のものであることは、多数意見の説示するとおりである。

人身保護法は、基本的人権を保障する憲法の精神に従い、不当に奪われている人身の自由を裁判によつて、迅速容易に回復せしめることを目的とする法律であることは同法一条の明定するところである。しかるに裁判所が、人身保護法の規定の適用をあやまり、無効の裁判によつて人身の自由の拘束を命じた場合に、人身保護法の解釈上、かかる裁判に対する不服申立の方法がなくこれが救済の途を欠くと解することは人身保護法立法の根本義に反するものである。自分は、かかる裁判は、決定の形式をもつて為されているけれども、同法二一条の「判決」に準じ直接最高裁判所に上訴することを許されるものと解する。従つて、原決定は国民の基本的人権たる人身の自由に関する法律の解釈を誤るものであり、本件特別抗告は違憲を理由とするものとして採択すべきであると思う。

(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克 裁判官 奥野健一)

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